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会社の上司に誘われてもお酒を飲みに行かない?
今の若者が会社の上司に誘われてもお酒を飲みに行かないという話がよくある。それは、時間とお金が余裕ないからとか、会社の人間関係を昔ほど重要視しなくなったからとか、仕事よりプライベート思考が強くなったからとか、上司が部下を強く叱れなくなったからとかが理由だろうか?
ぼくはもっと大きな原因となっている深層心理があると考えている。
それはお金になるモノ、価値のあるモノの変化と稼ぎ方とも原因が似ている。
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なぜ今の若者はそうなったのか
今、SNSが発達しすぎて人々は日々の生活を他人と比べてしまうようになった。ついついスマホを開き、SNSを開き、友人知人のリア充投稿を目にしてしまう。SNSをしなくたって、ネットによって世間の他人の良いところがたくさん目に入る。会社の上司とお酒を飲みに行く時だって、飲みに行った後だって、無意識に他人のリア充が目に入り無意識に自分と比較する。するとどう感じるだろう。他の人の投稿を見て、男女で友達とワイワイ飲んで良いなあとか、恋人とデートして美味しいお店行っていて良いなあとか、こっちはおじさんの愚痴を聞いていたのにと感じるのではないだろうか。時間とお金を消費する方法としてなら、会社の上司とお酒を飲みに行くのもそれはそれで楽しいし役立つこともある。しかし、飲み会としてなら、他の飲み会の方が魅力的に感じがちかもしれない。類似したものだと優劣を感じてしまう。家でゲームしたり漫画読んだり自分の趣味をしていれば、男女で友達とワイワイ飲んだり恋人とデートして美味しい店に行くのと違うよさがこっちにもあるんだと自己説得を出来る。しかし、お酒を飲むという似たものだったら優劣を感じやすくなる。
実は、この文を書こうと思った背景に、先日、若者の疑似恋愛(キャバクラや風○)離れが進んでいるという話題になったことがある。それも上と同様の理由だ。ネットによってたくさん情報がある故に、大恋愛のあるものと、疑似恋愛の違いが明白にわかるし比べてしまう。童貞に加えて素人童貞という言葉も生まれた。中途半端な性の喜びは、満たされた性の喜びと比較対象になり、満たされた性の喜びがないことをむしろ深く感じてしまうことになる。だったら中途半端に齧るより、恋愛領域に踏み込まない方が気にするキッカケが生まれず楽になる。
Google検索にはSEOがあり、食べログのクチコミは完全な生の声じゃない。ネットによって真偽に敏感になり品質を求めるようになった。もちろん会社の飲み会だって、疑似恋愛だって、それの良さがあって、それを機に他も次もある。しかし、飲み会も恋愛も遠くなり敷居が高くなった現代、希少な数回のうち一回には拘りたくて優劣を付け、踏み込みにくくなっている。そうしてフットワークの悪くなる負の連鎖になるのだけれど目を背け、お金がないとか家で1人でも楽しみがあると言いながら社会から孤立して行く人が増えていく。
もし、飲み会に点数を付けるのなら、好きな人とお洒落な店に行くのが100点なら、同年代とワイワイガヤガヤ飲むのは60点で、会社の上司と居酒屋で飲むのは30点かもしれない。しかし、結婚について聞いたり、親の気持ちがわかったり、嫌な上司の上手く避けて世渡りする方法を学んだり、同世代と飲むのとはまた違った面白さがある。だから、会社の上司とお酒を飲みに行かない人間はすごく勿体無い。ぼくは会社員じゃないからそういう機会がないのだけれど、ぼくは会社の上司と飲みに行きたい性格だった。しかし1年半いた会社はそういうのが全然なくて、もし頻繁に飲み会があればもうちょっと会社員を続けていただろうなと思う。