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ぼくは悩まない。考える。
「悩みのない人なんていない。」
と言う人がいた。それは嘘だ。だって、ぼくは悩むことがないから。
悩みが一切ないとまで断言してしまえば、それこそ嘘かもしれない。悩みという思考はある。しかし、悩んでしまいそうになれば自分にこう言う。
「悩むな考えろ!」
だからぼくは悩まない。そして、どんな問題も考えることで解決していく。
著者にしくんについて
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「にしくん」は"KOHEY NISHI"にメイン活動名を変更し、ブログを移籍しました。・「にしくん」から”KOHEY NISHI”にメイン活動名を変更する
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悩む、考えるの意味
ところで、「悩む」とは、「考える」とは、どういう意味だろう?
辞書によって細かい内容は少しずつ違い項目も色々とあるが、悩むはざっくり「苦しむ。わずらう。」という意味で、考えるは「知識、経験など様々なものを駆使して答え、判断、評価、結論を出す。」という意味だと出てくる。
悩むも考えるもどちらも問題を前にして起こるのに、こんなにも意味が違うのは面白い。そして、最も違うのは、終着点が違うのだ。
例えば、悩むという言葉をどういう時に使うだろう?
悩むは、恋愛、仕事、家族、友達など人間関係であったり、収入、学歴、業績など自分のスキルや成長、未来について使うだろう。
一方で考えるは、どうすればあの人と上手く行くか、どうすれば収入が増えるか、今の自分に何が出来るか、今後夢や目標を達成するにはどうすれば良いかに対して使う。そう。問題について、悩むは答えが出ないけど、問題について考えるは正解だろうと間違えだろうと何かしらの答えを出す。出そうとする。
絡まったひもに例えてみる。複雑に絡まったひもがもどかしい。絡まったひもに悩むというのは、「うーん、わかんない!どうすれば良いかわかんない!」そう言いながら、ぐちゃぐちゃしていってもっと絡まらせていく。「見て!こんなにひもが絡んじゃった!(悲しい。辛い。同情して!)」と言い出したり、SNSに投稿するかもしれない。元々絡まってなかったところも絡ませたり、人に話すことでうやむやにして一時解決しても絡んでいることに変わりはなくまた気にしだす。
では考えるの場合はどうなるか。まずはどのように絡まっているかを分析する。そして、どうすれば解けるか自分なりに精一杯の知識と能力を駆使して判断と実行を繰り返す。もし、この絡まりは自分ではどうにでも出来ないと判断すれば、人に頼むかもしれないし、諦めて捨てたり、必要ならば新しいものを買うかもしれない。ものを大事に使うべきだと非難する人もいるかもしれないが、もう古くてボロボロだったひもなのだから新しくする機会が出来て一石二鳥だと自己解釈すれば良い。
そう。スタートは問題がきっかけなのに、悩むにはゴールがなくて、考えるには何かしらのゴールがあるという違いがある。
難問に対して悩むと、解決出来なくなる。そもそも、解決出来る気がしなくて悩むのだから。もし答えを教えてもらっても、一人では解決出来ないし、もう一度類似した難問を前にしたらやっぱりまた出来ない。しかし、難問に対して考えると、何かしらの答えを出す。だって、答えを出そうとして考えるのだから。当然解決するか、すぐに解決しなくても解決に向かって行く。類似した難問を解決しようとするのを繰り返せば、いつかは難問が簡単になるまでになる。
先ほど悩むにはゴールはなくて、考えるには何かしらのゴールがあると言ったが、そもそも、ゴールに向かはないのが悩むで、ゴールに向かうためにするのが考えるだ。悩む時点でゴールに向かう気がないのだ。
お金、仕事、幸せへの悩み
お金がないと悩むのは、お金を増やすというゴールに向かう気がないから悩むんだ。そう言うと、お金がないと悩んでいる人は、「そんなわけないだろ!お金が欲しいから悩むんだ!」そう言うかもしれないけれど、本当は自分には今以上に稼ぐ力がない、今以上に稼ぐ力を身につける余裕がない、その答えを求めて未踏の地へ踏み出す勇気がない、など内面ではお金を増やしたい気持ちと現実を天秤に掛けて増やせないことを薄々わかっている。お金を増やすことのための労力が、お金を増やすための道が大変だから、お金を増やすということが自分にとって難問だと思い、しかしお金を増やそうとしないくせにお金がないことには不満でいる。だから悩むんだ。「お金ってざっくり、スキルと期待と信用度と市場価値で決まるんだな。だから、お金が欲しいなら自分がそれらを高めることをすべきで、そのためには・・・」と考えることが出来る人間は、常に今のお金に満たされているし、貪欲にレベルアップするためのステップを踏むからお金に悩むことがない。どんどん収入も増えて行く。たまに、棚から牡丹餅で宝くじが当たったり急に大金を手にした人が失敗するのは、お金について理解度が低いうちに得ることがむしろ負担になって耐えきれなくなるからだろう。
幸せになりたいと悩むのも、実は幸せになるのが怖いし、不幸な自分を可愛いと思っているからだ。幸せになるのは楽ではないし、なら楽な方が幸せなのではないか。私より幸せじゃない人もいっぱいいるから、相対的に私は幸せじゃないか。そんなことを思い葛藤する。それでも、やっぱり幸せになりたいと思った時に、自分より不幸そうな人間を見つけて哀れんだり、自分より幸せな人を見つけて引きずり降ろそうとする。自分にとって何が幸せだと感じ、どうすればその道に乗るか、終着点をどうするべきか、分析と行動をすれば、不幸になるわけがないのに。ぼくは幸せについて考え、明日事故災害等で急に死ぬ場合から100歳以上まで生きることが出来て死ぬ場合にまで備えたどうすれば幸せになるか分析し道筋を構築出来たから、自分がこの世で一番幸せで自分より幸せそうだと感じる人に出会うことがなくなった。
女性の悩み相談に対して、男性は答えを提示しようとするとモテないと言う。それは当然だ。だって、悩んでる時点で女性はある程度の原因が自分でわかっているし、でも解決する道筋は大変だと思っていたり、無理だという諦めもあり、根元には解決する気がないことに悩んでいるのだから。そして、気持ちを理解してくれる人が欲しいか、もしくは一歩踏み出す、または耐えるサポートが欲しいだけなのだ。
サラリーマンが集まると上司の悪口になるのは、上司の性格を変える力がないことをわかっているし、会社を辞める勇気がないこともわかっているから、悩んでいて、そしてストレスを吐き出すためなんだ。
なんだかんだ人間は自分が可愛いと思っているし自分に甘い生き物だ。自分で認めたくなければ、周りの人を見てみれば良い。モテずに悩んでいる人は、恋人が出来ても悩み、結婚しても悩み、離婚しても悩む。ずっと恋愛に悩み続ける。転職したいと悩む人は、転職しても転職しても悩み続け、転職を繰り返す。外から見れば、この部分を変えれば良いじゃん。この考えを変えれば良いじゃん。そう思うかもしれないし、実際本人も本当は気づいている。でも、変える大変さよりも、悩む自分が楽で、悩めば相手にされるし、悩む自分が可愛いんだ。悩んでいればいつか解決するかも、脱却するかもと思っているんだ。そんなことはないのに。満足したいから悩み、満足するために悩む。しかし、悩むとゴールはないからまた悩み、また悩むから満足しない。そして満足しないからまた悩む。無限ループして悩み続けるんだ。恋愛に悩む人はどんなに完璧に理想な人間が現れたって、一部の不満足な部分を見つけてそこを膨らませてまた悩む。仕事に悩む人もどんなに完璧で理想な職場でも、やっぱり同様にしてまた悩む。脱却するには、シンプルに悩むを考えるに変えれば良いだけなのに。
悩むを考えるに変える
悩んでたいなら悩めば良い。悩めば弱みを見せることになるから助けようとしてくれる人が現れる。悩めば悲劇のヒロインを演じられる。悩むもの同士が集まればコミュニティが形成されていく。悩みは購買衝動を掻き立てるウィークポイントだから顧客のものを買う心理の理解に繋がる。悩み続けていても奇跡的に脱却する可能性がゼロではない。しかし、悩んでいてから奇跡的に脱却したんではまた悩みかねない。悩む時点で心の中では解決に向かってないしゴールはない。
問題があるのだから、解決したいなら悩むを考えるに変える必要がある。考えるに変えるだけで良い。考えるとは、問題に対するゴール設定をし、分析、知識、経験、行動を駆使しながらそのゴールに向かう道を作ることだ。だから、考えれば着実に進歩する。悩んで出来た仲間なんて薄っぺらくて仲間じゃない。考えて行動して成長した時の仲間は掛け替えがない。考えていれば成長するから、運も上がるし、運によって偶然手に入れたビッグチャンスも上手く使いこなせる。
難病のぼくは、昔は悩んでいた。「ぼくは、このまま生き続けても世のためにはならなくて、人に迷惑をかけ続けるゴミ人間になるのではないか。」という問題を前にして悩んでいた。だって、どんどん身体が不自由になるかもしれない。親元を離れられそうもない。人間として価値があるには社会貢献したり、子孫繁栄したりだと思うが、ぼくは助ける側じゃなくて助けられなければ生きられない側だ。結婚なんて無理そうだ。親に頼って何も出来ず迷惑だけかけてそのまま死んでいくのか。粗大ゴミだ。と悩んでいた。しかし、身体が動かなくても学者という道を選べば世の中を変える側になりうるし、可愛いと受け入れてくれる女性がいることを知った。だから、もしかしたら偉人になる可能性があるのではないかと思うことが出来て、悩まず考えるようになった。考えるには、まず知識や経験という材料がいる。世のために生きるとは何だろう?「ありがとう」と言われることや、お金を生み出すことだと思う。じゃあ、まずは自分からありがとうを沢山言うようにして人は何に感謝するのか探求し、その中で自分の出来ることを探して積極的に取り組もう。どんな稼ぎ方があるのか、片っ端からいろんな人に会ってお金の稼ぎ方やお金の流通システムを勉強し、自分でお金を生み出していってみよう。そうして悩むを考えるにしたことで感謝とお金について分析と行動を繰り返し、尊敬すると言われるようになったり、月に100万以上入ってくることになった。悩んでた頃は身体も心も悪化したが、考えるようになってからどんどん回復して良い方向に向かっていった。病は気からを体感した。たったの、悩むを考えるに変えただけで。
考えることによって、時には捨てたり諦めなければいけないことがある。おそらく悩むのは、捨てたり諦めたりすれば解決するとわかっているけれど、捨てきれない、諦めきれないから悩むということもあるかもしれない。例えば紅白に出場したいのに全然売れないことに悩む地下バンド。結成半年くらいならまだわからないが、3年も成長がないならばそこからブレイクする可能性は低い。低いだけでゼロではないけれどとことん低い。そこで悩みをなくす簡単な選択肢が一つある。諦めてバンドを辞めちゃえば良い。口で言うのは簡単だけれど、本人には一大問題でそう簡単には決められない。だから悩む。でも、考えることによって解決してみる。まずは分析する。悩んでいた頃は、自分はうまいと思い込んでいたし、力のある人に注目されれば一気に売れると思っていたかもしれない。でも、注目されないということはやっぱり力不足でダメなんだ。だから、徹底的に理想サクセスを進んだ先輩バンドのデータ収集をすれば良い。成功例をサーチする。次に、ちょっと先のライバル情報を集めて、何が足りてなくて、どうすれば良いか分析と行動をすれば良い。とにかく材料を集めながら行動と失敗と分析を繰り返す。なぜ諦められないって、頑張っていると思っているけれど本当は最大限まで頑張ってなくてやり切れていないから諦められないんだ。とことん分析して行動すれば、成功へ近づく。その過程で自分には無理だとわかったとしても、徹底的にやればやり切った感を味わうし、やり切った感を味わった上で無理だと感じればすんなり辞められる。辞めた後も考えれば良い。なぜバンドで紅白に出たかったのだろう?有名になりたくて音楽が得意だったから?有名になるなら俳優でもモデルでも良いじゃないか。音楽を通して人が喜ぶ顔を見るのが好きだから?だったら既に売れているミュージカルや音楽団に入っても良いかもしれない。とか、目標を素因数分解して因子の似た別のもので再チャレンジすれば良い。星野源さんはずっとバンドにだけこだわってしていれば今のようなブレイクはなかったかもしれない。ソロでも歌い、クモ膜下出血と活動休止して闘い、俳優、声優、ラジオ、文筆もして今があるのだろう。また星野源さん繋がりの話だが「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマが話題になった。実際にハンガリーのことわざ「Szégyen a futás, de hasznos.」(和訳「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切。」)という言葉があるらしいが、分析した結果で逃げる(諦める)が最善策だと判断したのなら、逃げは恥どころか賢明だ。成長したらまた戻って来たって良いし、新しい道の方が正解だと気づくかもしれないし。
仕事でも、恋愛でも、家族でも、金でも、夢でも、身体でも、友人でも、生き方でも、悩んでいたら何が起きてどう転がろうがまた悩む。問題を複雑化させてうやむやにすることが悩むだ。悩んでいることが辛いと言いながら、現実逃避して悩んでいる方が楽だから悩むんだ。悩んでいる間は問題解決は無理だ。悩みの無限ループだ。それでも良いなら悩めば良い。でも悩むを考えるに変えれば、考えた先は解決に向かう。仮に諦めるたり捨てることになっても結果は解決に向かう。進歩する。成長する。だから、問題を前にしたら、悩みそうになったら、ぼくは必ず自分にこう言う。
「悩むな考えろ!」
だからぼくは悩まないし成長する。